とある研究論文でとても面白いものがありました。赤ちゃんは世界をありのまま見ていて、大人はありのままの世界を見ていないという内容です。
この論文からわかったとても面白いことは、大人は複雑な情報から効率的に選り取りし、重要な情報に優先して注意を払い、他の情報はある程度無視する能力を発達を通じて獲得しており、結果私たちは「世界をあるがままに見ていない」ということです。
生後半年までの赤ちゃんはまだこの処理能力を持たず、彼らはあるがままの世界を見ているとされています。
私はオカルト好きなので、この論文を読んで、多くの大人が否定している「幽霊」が実は近くに存在し、赤ちゃんの未発達な状態を何らかの形で残した人がそれを「見ている」可能性があるのではないかと考えました。
論文では、生後半年までの期間が「世界をありのまま知覚する」という状態であると指摘していますが、人の発達は個人差が大きいため、一部の人がこの性質を一生持ち続けることも不思議ではないでしょう。
言われてみれば、子供が楽譜を読む際の間違いは興味深いものがあります。
例えば、音符の印刷には多少の太さの違いがあることがありますが、大人はそれが重要でないことを理解しているため、「マル」として認識します。しかし、子供はその太さの違いに敏感で、違う意味を持つのではないかと混乱することがあります。
発達障がいの子供や大人も同様に、例えば聴覚の統合がうまくいかない場合、一般的な人が、必要のない音はノイズとして認識し、それをまさにノイズキャンセラーのように背景の音にすることができる一方で、彼らは全ての音を同じようなボリュームで聞き取ってしまうことがあります。
これにより、大切な情報を見逃す可能性が高まりますが、逆に言えば世界の音をよりありのままに受け取っているとも言えるでしょう。
発達障がいを持つ人たちが非常に独創的な絵を描くことがあるのも興味深い現象です。
彼らは私たちが見ることのできない対象物を捉え、そのまま描くことができるので、それが魅力的なものになることがあるのかもしれません。
「見えない」と信じない人もいますが、それは非常に傲慢だと考えます。多くの人がありのままの世界を見ていないのが普通なのですから。
特にピアノ指導の視点から考えると、生徒さんがどのように見えているかを理解することは非常に重要です。
子どもの生徒さんでも大人の生徒さんでも、その人は見えていても私には見えていないものは必ずあります。
それを、見えないから違うとするのではなく、そういう世界もあるかもしれないと考えるのはとても大切なことです。
この論文は、そうした考え方に改めて気づかせてくれるユニークなものでした。
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