🎓 高校の同窓会で感じた「積み重ねること」の美しさ
講師かなざわです!先日、初めて高校の同窓会に参加しました。
懐かしい顔ぶれの中に、今も現役で音楽を続けている同級生たちが7割ほどいました。
高校時代は「普通の生徒」と思っていた友達が、今では驚くほど洗練された演奏をする姿に、胸が熱くなりました。
私はピアノ、フルートは同級生の二人。
全員が“完全初見”!
「さち〜、これ弾ける?」
「多分。。。」で始まりました💦
譜面を開いたその瞬間から、空気が変わる。
音を出した瞬間に「呼吸」が合い、音楽が自然に流れ始めました。
盛り上がりの部分では私は急に難しくなったことに気づき「やばい!ここ弾けない!」と思いましたが、そのまま即興で編曲して弾き続けるというスリル満点の展開に(笑)。
それでも、二人のフルートが奏でる音の美しさにただ聴き惚れました。
響く音の中に滲んでいたのは、「積み重ねてきた年月」でした。
ソプラノ歌手として活動してきた彼女が、
なんと「コントラルト(男性テノールの音域)」の声で歌ってくれたのです。
深く、温かく、空気を震わせるような声。
まるで新しい楽器に出会ったような衝撃でした。
もののけ姫の主題歌で米良さんのカウンターテノールを初めて聴いた時のような、
不思議な美しさと強さ。
“同窓会で気軽に歌おう!演奏しよう”という場だったのにも関わらずこのクオリティ。
会場全体の空気が澄み渡りました。
コントラルトは現在日本に数人しかおらず、非常に貴重な歌声です。
女性の彼女なので男性の音域を出すのは難しいのですが、どこにも力みのない、どこまでも角のない丸い響きに感激!
たくさんの時間を経て、自分の道を探し続けた人の声には、真実の響きがあると感じました。
講師かなざわが学び続け、教室の指導方針の基礎としている「フェルデンクライス・メソッド」の創始者、モシェ・フェルデンクライス博士は、
「人の生きる目的は、自分の感覚が本当に欲していることをなすこと」
という言葉を残しています。
自分が“好き”で続けてきたことをやり続けた結果、
その人の動きや声、表情、そして存在そのものが美しくなっていく。
それはまさに、博士の言葉を体現した姿でした。
もちろん、私たちは自分の感覚や望みのすべてを社会の中でそのまま実現できるわけではありません。
けれども、自分が本当に感じていることと、社会の中で求められることとの間に、意識的に折り合いをつけながら生きていくことが大切だと感じます。
一方で、自分の感覚を無視したり、感じることさえ忘れてしまったまま社会に完全に同化してしまうことは、避けなければならないと思うのです。
人が自分の感覚を失うとき、そこには本当の意味での「生きる力」が失われてしまう。
社会と折り合いをつけながらも、自分の内側の声を聴き取り、それを尊重して生きる。
それは自分を大切にするということでもあります。
自分を大切にできるとそれを他者にも反映することができるようになるとフェルデンクライスは言いました。
音楽をやめてしまうことは簡単です。
しかし、「続ける」ことでしか見えない景色があります。
演奏の上達だけでなく、生き方そのものが洗練されていく。
そのことを、先日の同窓会の演奏を通して改めて実感しました。
高校時代、正直「これで本当に音楽で生きていけるのかな?」と思っていた同級生たち、
あの頃はまだ不器用に見えた人も、現役で学び続けた年月を経て確かな響きを持つようになっていました。
だから!小学生や中学生の段階で、思うようにいかないからといって「向いていない」と決めてしまうのは、本当にもったいないことです。
「あの曲を弾いてみたい」と思う。
「ここではこんな音を出したい」と感じる。
「この部分をもっとこう弾けるようになりたい」と工夫する。
レッスンや練習の本質は、その小さな積み重ねの繰り返しです。
そうして続けていくうちに、ふと振り返った時、
“やらなかった自分”と“やってきた自分”のあいだには、
もう埋めることのできないほどの大きな差ができていることに気づくでしょう。
努力の痕跡は、音にも、姿勢にも、表情にも宿ります。
その変化は、一朝一夕では決して生まれません。

